2003年(平成15年)1月13日 南日本新聞掲載・人生を占う身近な存在・名瀬港沿いの小浜町に、質素なたたずまいの民家がある。2002年10月21日(旧暦9/16)県内外から三々五々、十数人の男女の「ユタ」が集まった。二階の六畳間に祭壇。太陽と月の神が描かれた鏡や馬、鳥などの置物が並ぶ。それぞれが白装束、ハチマキ姿に着替えると、おもむろに「親ユタ」の阿世知照信(74)が太鼓(チヂン)をたたき出した。「奄美大島はヒロシマ、テラシマ、カミガシマに…」。ゆっくりと刻まれる太鼓のリズムと、神を迎える呪詞(じゅし)か゛響く。次第にドンドンと調子か゛急になり、呪詞も歌のように聞こえてくる。陶酔(とうすい)した表情でひれ伏していた一人が立ち上がって舞いだした。一人、また続く。「ハイ、ハイハイ」と合い手が入り、感情が高ぶり泣きだす人も。八百万の神を拝み、霊力を授かる「月並祭」。約1時間で儀式は終わった。「神の『拝め』という命令には逆らえんのです」。阿世知照信さんは、淡々と語る。ユタには望んでなるわけではない。特定の神に選ばれた存在だ。ある日、激しい頭痛や、ひどいときは精神に異常をきたすほどの精神的な病(巫病)にかかる。病院を何軒回っても治らない病が親ユタの導く成巫式で回復、ユタになる。神への拝みを怠ると、怒りを買って巫病が再発すると信じられている。2002年11月27日には、月並祭にも、参加していたM(47)さんの、ユタになって一年目の祭が、龍郷町 安木屋場の海岸であった。不眠や頭痛に悩まされていたが、神障に指定されたこの聖地を拝みだして「ピタリとやんだ」という。Mさんは、「夢で見た風景と同じで驚き、自然に涙があふれた」と振り返る。聖地は海と山中の泉。満潮の荒れた海で祈りをささげ、次は対極にある山中に分け入り、泉に向かって同じ儀式を行った。聖地ですくった水は、ボン(高膳)に供え、毎日拝む。こうした儀式を繰り返し、七年で一人前という。ユタは占い、払い、死者の霊を呼び寄せる口寄せなどで知られる。名瀬市だけで2、300人いるが、その儀式を行える霊力の高いユタは1割ほどという。
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