その親ユタは、奄美では珍しい「男ユタ」だった。80歳を超える男ユタ・阿世知照信は、年期の入った白装束に着替え、私を祭殿の前に座らせた。数珠のようなものを両手でこすり合わせながら祭殿に一礼すると、初めは低く抑揚のない祝詞で始まった。軽く咳ばらいをしながら頭を上げ下げして、天空から何かを降ろしているかのようでもある。鏡を置いた祭殿には、神が降りてくるといわれる蜜柑の葉やススキを差した祭花瓶がいくつも立っている。つやつやと黒光りして古色をたたえるその祭殿は、一体どれほどの年月を経たものなのだろうか。相当に昔のものであることを感じさせる。祭殿は三段だ。最上段は神様がおわします場所で、大注連縄に米、栗の穂が付けてある。三種の神器である「鏡」がいくつも置かれ、祭花瓶、献酒盃、鳥をかたどった置物などの間には献納された御神酒の焼酎瓶が置かれている。そして所かまわずカラフルな数珠状のネックレスのようなものが掛けられている。彫り物の立派な祭殿にも圧倒されるが、その置かれているものの見慣れぬ形象にも度肝をぬかれる。全体的にはどこかで見たことのあるような妙なレトロ感が漂っていたり、まったく見たこともない不思議な形をしたものだったり…。男ユタ・阿世知照信の背中の後ろから、私も拝みながら聞き慣れぬ妙な祝詞を聞いていた。持参した焼酎のビンのふたを開けると、中味(酒)を大鍋に空けてしまい一度カラにして、そのビンには阿世知照信が用意している「清水」が詰め替えられた。祭殿の一番下、お供えの御花米(ミハナグミ)の横にそのビンが置かれると、何やらそのビンに映るものを見ているようだ。ユタのシャ―マン世界を解説する民族学者の本には、―この清水の中に神が乗り移ってくるに従って、きらきらと光るもがかたちを作ってくる。―と書かれている。神が清水の液体の中に何かを描き出すというのだ。阿世知照信はぶつぶつと小声ながら「これは大丈夫だ。今すぐどうのこうのはないな」とご託宣を述べている。4、5分の祝詞が続いた後、やおら祭殿からこちらに居直った阿世知照信の口から「こっちに寄って…」という言葉が飛んだ。「頭、下げて」言われるがままに頭を下げるといきなり阿世知照信が口に含んだ御神酒を大きく二回、頭からプ―ツプ―ッと勢いよく吹きつけた。焼酎をかけて焼かれている火のついたままの焼き塩が、箸で手のひらのうえに置かれた。熱くはないが手の上で炎が上がるのは奇妙だ。消えるのを待つかのように、「はい、塩。舐めてからあたまの上に乗せて」と言われた。おき清めなのだろうか。言われる通りにした。「これは守り酒、身体を壊したときだけ二回に分けて飲みなさい。一回で飲んではだめ、一回は死に水だからね。薬などとはいっしょに飲まぬように」と阿世知照信は言い、水の入ったビンと、米と塩が入った袋を手渡した。「あんたは内臓…、胃腸がちょっと弱く映っとったがな。大事をとって過ごしなさいね。お父さんの手術後の経過は大丈夫だ。 心配ない。今日はこの清水を持って帰って家に置いときなさいねぇ。それからこの米はいつも持って歩くように。あなたを守るからね」家族のこと、親のこと、恋人のこと、男ユタの阿世知照信はさまさ゛まな具体的な教示や示唆を私に与えるのだった。
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