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奄美大島・ユタ神様
  鹿児島
神の島の白いシャ‐マン4
2011/04/07 13:12

祭壇の装飾は、すべて親神の手づくりである。目につくのは、火の鳥に似た二体の鳥の像。中央に古めかしい銅鏡があり、馬の置きものも見える。長押(なげ)しの上にある注連縄(しめなわ)の上には、神の姿をあらわす切り紙の人形がある。「神は馬に乗るのが大好きだからね。あの鳥も人形も、すべて神に命じられるとおりにつくった物ばかりですよ。それから、まんなかの古鏡は八し鏡。わたしが十九歳のとき四一度の高熱を出し、どうしても今井大権現に登りたくなったんですよ。そのとき夢中で掘りだしたのが、この鏡と、もうひとつの古い壷でした。そのときは、もう助からないということで、親が棺桶まで用意したんですよ」。阿世知さんの祖父は、九萬法防過(くまんほうぼうか)‐九萬法と称する方術を使う人‐とうたわれた強力なシャ‐マンだった。さらにその祖先で、江戸時代の人という牧清は、ケンムンの襲撃から身を守る法を発見した術師だった。かれはケンムンの弱点である左耳をつかんでなげとばす法を発見し、ケンムンとの相撲に勝った。また、明治から大正にかけて大島郡の在郷軍人会会長だった大叔父も、今井大権現の宮司で九萬法をよくした人ともいう。強力な巫力を継承したのが、 親神 の照信さんであった。親神は小学校四年生のとき、体の調子がわるくなり、最初の巫病にかかった。この病気は、神がその人に「神拝み」を命じ、ユタとなる定めにあることを知らせる信号なのである。食欲がなくなり熱に受かされた親神は、急に今井大権現に登りたくなり、その山頂で七人の神の姿を幻想した。そのときに病が治り、元気をかい復したという。神拝みの願をたてたのはこのときで、七山、七尾筋、深山に水を汲みあげ、最初の儀式をおこなっている。十九歳のときにふたたび高熱を発し、このときは山で、今井権現夫が埋めたとして考えられる八たの鏡を掘りだし、祖父をあっと言わせた。親神が21歳になると、年齢をさとった80歳の祖父が、カミグチすなわち九萬法の呪文を伝授している。祖父は、酒を注いだ盃になにごとか言葉を吹きこみ、それを孫に飲ませたという。〈神うつし〉である。その直後から祖父は一切の言葉を発さなくなった。声を出せなくなったのだ。だからコミュニケーションの方法は、目をパチパチさせることだけ。しかし孫にはそれが読みとれたという。代わって孫は、自分ではまったく聞きおぼえのないカミグチを三回となえるのを見ると、祖父は満足して死んでいったという。こうして 一人のユタが誕生した。

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