一座は、ほとんどが白だ。ここは神道の潔斎の影響が認められる。五色に光かがやいた派手な韓国のシャ‐マンとの対照。しかし、気楽な‐それこそ近所の寄り合いといった雰囲気は、韓国のそれと変わらない。これはやっぱり、日本人が考える統率された出家修業方宗教のスタイルではない。しかも、祭の次第を実見して驚かしされた。本質的な部分が朝鮮系シャ‐マニズムに、いちいち合致するからなのだ。まず全員が塩を手にとり、酒を体にふりかけ、身を浄める。まだ座がざわついているのに、親神はそしらぬ顔で太鼓を叩きはじめる。その間に、遅刻者がひとり、はいってきた。まだ来ない子神もいるらしい。それでも親神は太鼓を叩きつづける。トロ・トロ・トロという感じのリズムだ。そのうちにユタたちが合掌し、ひれ伏し、また手もみしてカミグチをつぶやきはじめる。各人が各人のスタイルで入神を開始する。八百万神、いや九万九千九百九十九神の名を片っぱしから告げているのだろうか。やがて親神が鉢巻を締め、すすきをもって祓いをはじめると、様子が一変した。ユタたちも一斉に鉢巻を締め、トロ・トロ・トロからタン・タン・タンと激しいリズムに変わった太鼓にあわせて、一人ずつトランス状態にはいった証の舞いを舞いはじめる。七色の紙をお下げのように髪に飾ったユタが、この祭礼では唯一、色彩を仄めかせて舞う。この飾りものをナナハベラという。七つの蝶の意だ。蝶は、魂または霊をあらわすから、おそらくこの七色は、ユタについた七種の霊を象徴しているのだろう。ハベラの色彩が妖しく交差する。これはノロの踊りかただという。ノロとは共同体の祭祀を主宰する宗教的指導者のことである。内地でいうなら、神社の神楽女といったところか。つづいて、紫の袴をはいたユタが、すすきを握り、これを力いっぱい振りまわしながら、ジャンプを開始した。祭壇が揺れる。韓国のム‐ダンが入神するときと同じ方法だ。奄美では、このすすきに神が降りるのである。さらに驚いたのは、ユタの一人が両手に刃物をもって舞いだしたことだった。奄美では、神を迎え、神を降ろすのに、剣を用いる。剣は、すすきと同様の霊力をもつ祭具なのだろう。ソウルのム‐ダンが刀を振りまわして踊っていた姿をも、彷沸させた。次に、70歳ほどの老女がジャンプして舞いだすと、ユタたちが手拍子をとり、「ハイ、ハイ、ハイ…」と掛け声をかけた。これで狂気が一気に解放される。舞い終わって、倒れこむ者もいる。さかんに胸を叩く者もいる。
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