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奄美大島・ユタ神様
  鹿児島
神の島の白いシャ‐マン8
2011/04/07 14:49

まるで邪霊が憑いたかのような激しいさだった。動くことさえ大儀だった人が、必死の形相で駆けまわる。われわれは慄然として凍りつき、目をみひらいて患者の動きを追った。あまりにも激しくすすきを振ったので、ついにすすきが折れて、座敷に乱れ散った。かれはぐったりとして、祭壇の前に坐りこむ…。あたりが静まると、親神も目を丸くさせ、散ったすすきをとりあげた。「折れてちゃった、これ!」降りた神の強力さに驚いている。ときには、手にしたすすきで祭壇をなぎ払うこともあるそうだ。すすきが横に動けば、祖先の霊が降りたことになる。今回は、すすきが上下に動いた。「神の障りはどうなるのですか?この方もユタにならないといけないのですか?」われわれが尋ねると、阿世知さんはかぶりを振った。神障りと神祟りとは別物なのだユタになるのは神障り。この人のは神の祟りだから、ユタにならずともよいという。山神や海神は容赦がない。自然にさからえば、祟られるのだ。そのとき、阿世知さんが実に興味ぶかいことを言われた。今でも忘れない。
「同じユタでもね、沖縄では祟りりといえば〈先祖供養が足りない〉の一点張りなんですね。だから墓をたてなければいけない。内地だって、最近そうでしょう?何かというと霊障の原因を先祖供養の不足で片づけるって。でも、奄美ではちがいます。山や海の神神、自然の神神の怒りといういうケ‐スが多い。ここは、人びとが神のもとで暮らす神の島ですものね」。宗教ではない。しかし宗教以上にみごとな信仰が保たれている。奄美のシャ‐マニズムこそ、この島のふしぎな霊性を維持しつづけている力だ、と思った。直会のとき、阿世知さんが釣ってきたシビの刺身を味わった。ハブの除け方、魚の釣り方、森で迷ったときの脱出法。ケンムンに襲われた際の防御策など、どんな話を聞いても、博物学的な叡知に裏打ちされていることに、われわれは何度も驚愕した。シャ‐マンは、同時に、博物学者でもあったのでなる。祭のあと、小宝島へ漁に行くという阿世知さんを見送ってから、われわれは南の海岸をドライブした。もちろん、こちらがわも神界のおもむきを残していた。大和村のサンセットビ‐チで夕暮れを見たが、海に向かって開かれた墓地から夕焼けの海を眺めたとき、洋上を蝶のように舞う魂が見えるような気がした。九万九千九百九十九の神神は、いまもユタたちの生活ぶりを見守っている。終わり

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