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奄美大島・ユタ神様
  鹿児島
7つの波と太陽と月‐自然2
2011/04/07 14:58

さて、それではいったい、自然とつながる神とはどんな存在なのでしょう。「神の道に入ってね、最初は神が怖いんですよ。言うことがわからずやらんでいると、病気とかさせて知らせるからね。そういうのが嫌いで恐ろしいっていうのがある。それ尊いから怖い。あとね、いちばん怖いのは、絶対にインチキがきかないんです。これでいいだろう、とか、これぐらいわからんだろう、とかね、そういうふうに思ってるなんてことも、神には力があるからすべてお見通しなんです。最初、神の道に入ってから苦しくて死ぬことしか考えていなかった。ところが、神を拝み始めて年齢を重ねると、神に慣れっこになってしまいます。すると今度は『神より自分が上』という、驕る気持ちが出てくるんですね。自分のやることは、全部、神がさせていることだ、って。これは大変なことです。神を怒らせてしまったら大変です。だから絶対に慣れっこになったらいけないんです」以前、阿世知さんから言われたことを思い出しました。人間は神様にはお願いするのに手を合わせるけれど、自然に対しては、一度だって手を合わせたことがあるか?自分を生かしてくれる自然に、感謝して一度でもいいから手を合わせてみなさい、と。神にも自然にも謙虚な人間であれ、と言われているように思います。
人間は海から生まれた。だから自分の親が生まれた場所にある海に入って足を浸すと、自分の行くアムゴが見えます。
アムゴ…湧水源のこと。自分の祖先が暮らした場所にある湧水源や、その場所から流れる湧源水に近い小川を指して言う。

つい先日、奄美北部の節田集落で久しぶりに「雨乞い祭り」が行われたという話を、地元の人から聞いたばかりでした。雨乞い祭りとは、稲作が中心だった地域が日照りが続くと行われた、村人たちによる共同祈願の祭りです。そんな話をすると、出身地の安木屋場でも昔は祭りをやっていた、と阿世知さんは言います。「ぼくが小さいとき、雨が降らんとね、全部同じようにやりよったよ。墨を顔に塗って、山に登ってブリキの缶をチンシャン音鳴らしてやって。あれはシナ事変(中華事変のこと)の頃じゃ。戦争は始まるし、主食の芋はつくらなきゃならないし、大飢饉で雨が降らければ大変じゃった。あれは神様を喜ばすためじゃ。どこでも祭りで、化粧したり面をかぶるとかするでしょ。神さまを喜ばせたら、願いはなんでも叶えてくれる。人間と一緒じゃ?人間だって、ちゃんと喜ばせれば願いを叶えてくれるもんですよ。人間、怒ったらいちばん、怖いから。人間はいかに顔がきれいでも、お腹の中にくもりが2つあるって言います。

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