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奄美大島・ユタ神様
  鹿児島
7つの波と太陽と月‐自然3
2011/04/07 15:02

病気のくもりと、ひねくれのくもりと。だから奄美の人はコップに水を入れて、『水のようにきれいな心、ひねくれとか病気ないように。水肌をください』って水神様に言って飲むっちょ」病気には神からくるものと祖先からくるものがあります。体の右側が神、左側が祖先からの障りです。「『海の神』とか『山の神』とかの障りがある人は治らん人もいます。そういう人っちいうのは、そういう神を拝まんばいかん人ね。その人に授かったものじゃからそれは祓うことができない。悪神やけがれなんかの場合は、祓えますよ。ただその場合も、その人の当たっている神様をいちばん何より、見抜かんばできない。あんたが『具合が悪いです』って言うでしょ。だけど、お医師さんが、どこがどういうふうに具合悪いって決めなければ、治されんもんや。たとえば この子がてんかんするのは、なんの神様が障りをしているのかって見抜いて、その障っている神様と相談してやっている。それを見抜かずにいい加減にお祓いをやるとこっちが危ない。形だけ何とかしてあげるっていうのでは、病気や怪我は治らない」このように阿世知さんが語る神様ですが、そういえば、神事には必ずお米がつきもののようです。どんな意味があるのでしょう。お米と水、芭蕉は天から授かってきたものって言うね。水で米をといで、芭蕉の葉の糸で着物を織って…。水のおかげで米はできるし。何か意味があるんでしょはうね。本当のことはわからない。神さまが米の上におりるっていうのが尊い。お米っていうのは、奄美の歌でも『稲穂がなし、実れば実るほど頭(こうべ)深く下げて』ってあるの。非常に神様もよくなればなるほど、頭を深く下げるって。もうひとつは『下の水のおかげさまで実った』と言って、水の神様に頭を下げているっていう人もおるんです。雨が降ると昔の人は『ああ財産が降ってきた。ありがとう』っち、喜んで手を合わしよったからね。水は、生物全体の命の宝じゃから。今だったら何か邪魔みたいに、雨が降ったら怒りでしょ。自然のあり方がだんだん心ない人たちによって壊されていくから、今の子どもたちがなおさらわからなくなっている。「海も川も、あらゆる生物には必ず魂が宿っています。魂が宿れば、そこに神が宿ります、石も腐らないでしょ。あれは生きているからなんですね。石には、生命がないと思ったら大間違いです。ものは言わなくても生きています。人間は死ぬか生きるかの病気をしたり、大事な人を失ったりして精神的にどん底に突き落とされるまで自然のなかに神の姿を見ようともしないし、また自然に生かされていることに気づかないんですね。だからふだん自然の神を拝もうとはしません。だけど何か起こってからでは本当は遅いんです。人間はあまりにも自然を忘れ、自分たちのワガママで自然を好き勝手に壊していっているでしょ。誰もが現世のご利益を求めて、現世で生きていくのに困ったときだけ学問とか商売繁盛などの神に頼ろうとしますよね。けれど、人間がこの世に生きる大前提とかは何ですか?現世のご利益を預かるには、人間がまず生きていなきゃいけないでしょ。人間を生かすものは何ですか?大自然でしょ。大自然がなければ、ぼくたちは一秒たりとも生きていけないんです。そうしたことに気づけば、自分のなかの神にも気づくことができます。本当は人間の心のなかにも神はあるんですよ。ぼくたちが大自然の神から教えられるのは、人間の業(ごう)と願いは代理がきかないということなんです。言い換えれば、病気とユタガミは代理がきかないんです。ぼくたちユタガミがいなければ、神の存在を知り、大自然のなかで人間が生かされていることを知るのは難しいでしょ。そして自らが病にかかったとき、人は初めて必死に祈るでしょ。神に助けてください、生かしてください、っち祈るでしょ。神を知り、大自然に人間が生かされていることを知るのに、欠かすことのできない要素なんです」

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