龍郷町安木屋場出身の阿世知照信さんは、現在奄美市名瀬に住み、奄美近海・トカラ列島周辺の近海漁業に従事している専業漁業家である。また、著名なユタでもある。日常生活において、自分のイメージが沸き上がってくると、すぐ文章にしたり、絵に描いたりしてノ‐トに控えている。家の神殿にしている2階の六畳の部屋の襖にも大きな絵が描かれている。阿世知さんは、昭和3年 安木屋場に生を受けた。24歳まで安木屋場で漁業に従事していた。幼児から、祖父のクマホボッカ‐(通商)の薫陶を受けて育った。祖父は、当時 クチホウを知っている人として著名で、笠利・小宿方面から病苦の人々が安木屋場へやってきて、祖父のカミグチのはらいも受けるものが多くいた。祖父が阿世知照信さんを愛育したのは、自分の後継者にと考えており、その期待にこたえる能力を幼い時に示していたからであるらしい。7歳の時に、ナナヤマ(七山)、ナナウスジ(七尾筋)、フカヤマ(深山)の7カ所の水をくみあげて、カミ拝みの願をたてたらしいのである。昭和11年ごろだが、小学校四年生の時に体の調子が悪くなり、学校を休んでいたが、今井権現にのぼりたくなり のぼってみると、具合がよくなった。この時に、山上の今井権現で七、ハ名のカミの姿を、幻想として見たことがある。19歳の時に41度の高熱を出しなかなか熱が引かず、家族のものは、棺桶まで準備していた。しかし、高熱を出していながら、衰弱している体力をふりしぼって今井権現にのぼり、土に埋もれている鏡を掘り出してきた。祖父は、ますます自分の確信を深めた。21歳になっていたが、祖父は 80歳の時に死亡した。旧正月二日に倒れ、六日目に息を引き取った。祖父のいちばん愛育した孫が カミクチ三回唱えるのを見て、いまわの際には、深くうなずいたという。阿世知さんは、24歳の時に、名瀬に出て、商売をするようになった。33歳の時に名瀬の大火に類焼した。それから、若い時の職業であった漁業に従事するようになった。41歳の時、大病をしてカミサマを拝むようになった。祖父は、阿世知さんに 常住巫臥(じゅうじゅうざが)いろんなことを教えてくれた。冬のイカバリをつくるのには、山でイノシシが牙(きば)をみがいた木を探すこと。道の歩き方、ハブ除けのことなど、山の当て方、ソネのことなども、実地に教えてもくれた。また、冬の日の朝の曇りには、遠くまで舟をだしてもいい。冬の朝ナギは、夕方シケと思え。ハイの風(南風)は 大漁であれば あるほど大風になるし、風が強くなる。北や西から返しの風がくるので注意する。これらは、祖父の教示の一部である。
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